2019年9月8日日曜日

ドーピング検査において処分を与えるタイミングについて

広島のバティスタがclomifene/clomipheneの使用によって、アンチ・ドーピング規定違反により出場停止となりました。

広島東洋カープ所属 サビエル・バティスタ選手
アンチ・ドーピング規程違反に対する制裁について
http://npb.jp/anti-doping/doc/doc_20190903.html

原因としては、サプリメントへの混入の可能性が挙げられています。広島の公式サイトによると、サプリメントへの混入が疑われたため調べたが、よくわからなかったようです。

サビエル・バティスタ選手 アンチ・ドーピング規定違反について
https://www.carp.co.jp/news19/n-295.html

広島の対応について、公式サイトから一部引用します。
サビエル・バティスタ選手の「このような物質を摂取したことはない」との主張を受け、直ちにサビエル・バティスタ選手が当時摂取していた2種類の海外製サプリメントの汚染の可能性を探りました。1種のサプリメントの検査を実施しましたが、汚染は確認されませんでした。残る1種は検査から2カ月近く経過していたため、すでに消費されており検査に至りませんでした。
ここまでは事実の確認で、本ポストとはあまり関係は無いです。これに関して、出場停止処分はB検体の結果を受けてから出されたという記事が出ていました。

バティスタが陽性反応後も試合に出続けた理由
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190903-00000171-sph-base

この記事を読んだときの感想は、"A検体の時点で処分を出すのはあまり望ましくないのでは? "というものでした。主な理由は検査機関にA検体とB検体の結論を一致させるインセンティブが生じるためです。詳しく調べたわけでもないですが、備忘録がてら書いておきます。

断っておきますが、ドーピングとかの分野の専門家でも無い、この手の検査の専門家でもないような人間の感想です。

まず、検査によって得られた診断結果について考えましょう。"適切に得られた検査結果"が正しい確率は事前確率と検査の精度 (感度、特異度) に依存します。条件付き確率の説明でよく示される例ですね。

ベイズの定理の使い方, BellCurve
https://bellcurve.jp/statistics/course/6448.html

特に注意が必要なのは事前確率で、これが低いと検査自体がかなり良いものであっても、検査を複数組み合わせたとしても、事後の不的中率は無視できない程度にあるかもしれません。

この検査で陽性が出る事前確率は、NPBで実際に使っている選手の割合についての予想、ぐらいのイメージになるかと思います。当然はっきりとした答えはありませんが、過去の検査結果が多少の参考になるはずです。NPB公式における過去の規則違反関連の報告 (http://npb.jp/anti-doping/doc/doc_notice.html) を見る限りclomifene陽性は初のケースのようです。これを考慮すると事前確率は、それなりに低いと推定できるかもしれません (実際にはどれだけの人数を調べているかは不明ですし、偽陰性が生じている可能性もあります)。

この検査の精度については、冒頭のリンクや、NPBのサイトを見る限り、NPBからの説明はなさそうです。ドーピングしていない被験者において類似した構造の分子が存在しないような低分子の検出であれば、かなり高い精度だろうとはなんとなく推測しますが。検出する物質によってはかなり杜撰な可能性もありうるようです (文献は後で引用)。

また、取り違えなどの可能性もわずかにありえるため、A検体の検査結果の時点では十分な確信が得られていない可能性があります。ここからさらに独立した別サンプル、つまりB検体から"適切に得られた検査結果"を得て、それが陽性であれば、さらに事後の的中率は上がることが期待できます (特定の特徴を持った選手に対して、検査が誤った結論を出す傾向があるだけという可能性もありますが)。取り違えなどの可能性はほぼ否定できるでしょう。

問題はA検体が陽性でB検体が陰性だった場合です。A検体の検査結果が得られた時点における、事後の的中率が十分に高くない場合、このような状況が生じる可能性があります。この時、検査機関の体面を保つために問題のある方法を使ってでもBの結果が陽性であったと主張するインセンティブが発生します。このインセンティブはAの時点で処分を与えていた場合、おそらく高くなってしまいます。結果、B検体まで調べても実際の事後の的中率はあまり改善しなくなってしまうかもしれません。

このような懸念は検査機関が十分に信頼できるのであれば、考慮する必要性は高くありません。NPBのケースで担当している機関がどの程度信用できるのかが問題ですが、すくなくとも検査や結論を出す過程は不透明であるとは言えるのではないでしょうか。本来であれば実際のデータや検査の精度とその根拠 (さらにいえば各時点での的中率についての事後の評価) を明らかにするべきでしょう。外部から検査結果の妥当性を評価することがある程度可能になります。

なお悪いことに、これはWADAの認定機関についてですが、その不透明性、相互批判を禁じた倫理規定、批判を載せた媒体やヒアリングへの圧力、少なくとも一部の分子の検出 (外来のEPO) におけるデータの示し方/画像操作/解釈についての問題点、結果の一貫性の欠如、などについて、一部の研究者から懸念が繰り返し示されています。

Boye, E. , Skotland, T. , Østerud, B. and Nissen‐Meyer, J. (2017), Doping and drug testing. EMBO rep, 18: 351-354. doi:10.15252/embr.201643540
https://www.embopress.org/doi/full/10.15252/embr.201643540

Nissen‐Meyer, J. , Skotland, T. , Østerud, B. and Boye, E. (2019), Improving scientific practice in sports‐associated drug testing. FEBS J, 286: 2664-2669. doi:10.1111/febs.14920
https://febs.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/febs.14920

少なくともデータの解釈への批判についての一部では、WADA関係者によって反論も試みられているようですので、興味がある方はそちらも当たっていただければと思います (https://www.sportsintegrityinitiative.com/epo-testing-anti-doping-laboratories-no-joke/)。

というわけで個人的には、検査機関から見たAとBを一致させるインセンティブは低く保つことは重要であり、この件に関してはB検体の時点で判断したのは適切だったように思います。

A検体検査後とB検体検査後の、どの時点で判断すべきかというのは一般化は難しいかもしれません。事前確率が高い検査/スポーツとか、A検体検査とB検体検査の間に行われるイベントが極端に重要であるとかの場合は、A検体の時点で判断すべきだという考えの妥当性が高くなります。また、A検体を調べた時点での的中率がどれだけあればその時点で処分するべきかというのは、選手や観衆の価値観や規範の問題になってくるでしょう。